奈良 平城宮跡
  近鉄奈良線、大和西大寺駅と新大宮駅の間に平城宮跡があります。
  平城宮の中心部分の遺構を、発掘して、一部の門や建物が、再現されています。
  どこまで再現する予定なのか分りませんが、
  現在は、かなりの部分が広場として市民の憩いの場になっています。
 
  今年は、平城遷都1300年の年にあたり、
  平城宮跡をメイン会場として、平城遷都1300年祭が行われています。
  せんとくん騒動で有名になったあれです。


  2010年4月18日に晴天に誘われて行ってきました。

 2010年10月16日、前回が、開催前の内覧会の日で観られない所があったので、再度行って来ました。
 大極殿と歴史館・遣唐使船の分を3ページ目に追加します。

平城遷都1300年祭
写真が多いので、3ページに分けました。  前のページへ 1ページ目へ 2ページ目へ 3ページ目へ 次のページへ 
平城宮跡案内板
以前からある案内板です。
このすぐ北側(後)に道路があり、
こちら側が表(入り口)になっていました。
駐車場もこのすぐ東側にあったのですが、
今回の1300年際にあたり、
南側(ここから前方1kmほど先)にエントランス広場を作り
駐車場もそちらに移したようです。


遺構展示館
以前からある建物ですが、
1300年際にあわせて、内部を一部改装し
展示等を新しくしています。
案内板の東側にあります。


入り口を入ったところ
正面にモニターがあり、
遺構展示館の説明ビデオを流していました。


内裏正殿復元模型


発掘された遺構
ここは、発掘された遺構をそのまま保存展示しています。
ご覧の跡は、柱の跡ですが、
いろんな穴が入り乱れており、
何回も建て直されている事が分ります。
階段を下りてまじかで見ることが出来ます。


遺構全景
ご覧のように階段が、遺構のすぐ上まで降りています。


平城宮第二次大極殿基壇の断面
第二次大極殿の基壇の一部をここに移設したようです。


井戸枠
このままの形で残っていたんでしょうか。
土の中に埋もれていたので残ったという事でしょうか。


塼積(せんづみ)基壇建物復元模型
塼(せん)とは、古代建築の壁や床に用いられた、
板状またはブロック状の部材のことで
材料は、瓦質や陶製だそうです。


復元された当時の瓦
左が現代の瓦、右が復元された瓦です。
持ってみましたが、当時の瓦のほうが重いです。


平城宮跡から出土した礎石


展示の説明パネル
平城宮跡で、展示している方法の説明パネルです。


建物の周囲に敷き詰められた石
屋根からの雨だれの受けだそうです。


遺構展示館の南側
展示館の南側外に出たところです。
左側前方の建物が、復元された宮内省です。
手前の円柱が、建物の柱と塼積基壇の模式展示です。
左の端に朱雀門が写っていますが分るでしょうか


後殿跡
後殿跡と、手前に並んでいるのは出土した礎石。


復元された宮内省
「正殿」「脇殿」「倉庫」などが復元されています。
遺構展示館から南に下がったところにあります。


平城京なりきり体験館
手前の建物がなりきり体験館
左奥に見えるのは宮内省


なりきり体験館の内容
写真の四つの体験が出来ます。


なりきり体験館料金
ご覧のような金額で、予約制になっています。
私が行った時は、予約はすべて終了していました。
体験は有料ですが、見るのは無料です。


平城宮仕事体験
木簡を作っています。


天平衣装体験
貴族が着ていた天平衣装を着て記念撮影ができます。


遣唐使船を模した花壇
なりきり体験館から東に行ったところに
ご覧の花壇がありました。
遣唐使船を模した物のようです。
会場は広いので、後に写っている様に、
レンタサイクルが便利です。
普通タイプ700円、アシストタイプ1000円です。
近隣周遊にも利用できるので重宝すると思います。


ハートフルカート
会場内をカートが走っていましたが、
利用は障害者、高齢者に限られるそうです。


宮内省
だいぶ東南に移動して、遠方からの撮影です。


宮内省となりきり体験館
さらに遠くからの撮影です。
会場の広さがお分かりいただけると思います。


東院庭園への入り口
平城宮の東側に東院があります。


万葉花矢来
上の写真の右側の築地塀です。
イベント「花と緑のフェア」としてご覧の展示がありました。


東院庭園入り口
正面の建物は展示館です。
東院庭園は、建物を抜けた向こう側にあります。


建部門
東院の南側の門です。


東院庭園遺構模型
展示館に入った正面奥にあります。
庭園遺構が発掘されたときの模型です。


八角形の柱
下半分は、実際に出土したものです。
朱の塗ってある部分から上が地上で、
地下の部分で、柱が傾かないように木が組んであるのが分ります。


鳳凰紋の瓦
上の半分が出土したもので、
下半分の欠損部分を復元してあります。


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