京都 下鴨神社
     下鴨神社は、正式には「賀茂御祖神社」(かもみおやじんじゃ)と呼びます。
     京都鴨川の下流に祭られているお社というところから
     「下鴨さん」とか「下鴨神社」とよばれています。
 
     東西二つの本殿があり、御祭神は東本殿が、玉依媛命(たまよりひめのみこと)

    西本殿が、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)です。
 
     下鴨神社といえば、「葵祭」が有名で、毎年5月15日には
     王朝絵巻の行列を見に、観光客が押し寄せます。
 
     11月8日(2009年)に京都御所の特別公開を見に行ったついでに、下鴨神社に行って来ました。
     京都御所を見た後なので、昼過ぎになりましたが、
     秋とは思えない刺す様な日差しの中、「糺(ただす)の森」の冷気と霊気に浸って来ました。


 下鴨神社

糺の森(ただすのもり)
下鴨神社の西南隅の入り口
参道の周りが「糺の森」といわれる林になっています。


河合神社の鳥居
本宮に次ぐ大社として歴史に登場する河合神社の鳥居です。


河合神社の鳥居
 


河合神社の門
 


河合神社の説明書き
門の左側に説明書きの立て札がありました。


河合神社の末社 三井社
河合神社の門に相対する位置にありました。


河合神社の舞殿



鴨長明の「方丈」
鴨長明は、河合神社の神官の家に生まれました。
後年住まいを転々と移動し、その移動に便利なように
組み立て式の住居として仕上げたのがこの「方丈」だそうです。
ここに展示されているものは復元されたものです。
 


河合神社正面
河合神社正面の拝殿です。


河合神社本殿
拝殿から奥に見える本殿です。


「糺の森」
下鴨神社正面の参道に入ったところです。
「糺の森」は、古代の山城国の名残をとどめる自然遺産で、
全体が国の史跡に指定されています。


「糺の森」の説明書き
参道の横に、このような説明板が設置されていました。


「糺の森」の参道
同じく「糺の森」の中の参道です。
遠くに下鴨神社の鳥居が見えて来ました。


下鴨神社参道
ここには道が横切っているのですが、
これより先は自転車も通行禁止のようです。


糺の森の祭祀遺構
参道を右に少し外れた所に、祭祀跡を復元したものがありました。
何らかの水に関係した祭祀が行われたものと考えられています。


祭祀遺構説明板
復元された遺構の傍らに、ご覧の説明板がありました。


奈良の小川の御手洗(みたらし)
この小川は、境内糺の森の発掘調査によって見つかりました。
平安・鎌倉時代の下鴨神社の様子を伝える
「鴨社古図」に描かれた小川の一部です。


御手洗(みたらし)
御手洗は、御祭神の神話伝承にちなむ舟形磐座(いわくら)石です。
御神水をそそぐ樋は、糺の森のヌシと呼ばれていた樹齢600年のけや木です。


下鴨神社の鳥居
ようやく社殿に着きました。
「境内に入る」と書こうと思ったんですが、
参道も境内にはいるようです。
鳥居や門の中はなんて言うんでしょうね。


楼門
結婚式も行われていました。この日は二組ほど見かけました。


相生の社(あいおいのやしろ)
御祭神は産霊神(むすびのかみ)で
古代から縁結びの神として知られている。
鳥居をくぐって左側にありました。


連理の賢木(れんりのさかき)
縁結びの御神木で、縁結びの神の御神威(おちから)によって
二本の木が一本に結ばれたものと云い伝えられている。
「京の七不思議」にあげられている。


楼門
楼門をくぐって中に入ります。


舞殿(まいどの)
賀茂祭(葵祭)のとき勅使が御祭文を奏上され
東遊(あずまあそび)が奉納される。
御所が災害にあわれたとき、
臨時の内侍所と定められている。


橋殿
御蔭祭のとき、御神宝を奉安する御殿。
古くは御戸代会神事、奏楽、里神楽、倭舞が行われていた。


御手洗川 輪橋(そりはし)と光琳の梅
土用の丑の日にこの御手洗川に足を浸し疫病や病封じを
祈願して賑わう「足つけ神事」などの神事が行われる所。
尾形光琳が、このあたりを描いたのが「紅白梅図屏風」である。
以来、この梅を「光琳の梅」と呼ぶようになった。


中門
左側のテントは、特別公開の受付です。


言社(ことしゃ)[えとの守り神]
それぞれが十二支の生まれ年の守り神さまとして、
また商売繁盛、事業繁栄の神様としても信仰されています。


左から、八千矛神(やちほこのかみ) 辰・申
大己貴神(おおなむとのかみ) 寅・戌
志固男神(しこおのかみ) 卯・酉

本殿に対して西側(左)にあります。


左 大物主神(おおものぬしのかみ) 丑・亥
右 大国主神(おおくにぬしのかみ) 子

本殿に対して東側(右)にあります。


顕国魂神(うつしくにたまのかみ) 午
本殿に対峙する位置で西向


大国魂神(おおくにたまのかみ) 巳・未
本殿に対峙する位置で東向き


拝殿
奥に西本殿と・東本殿があります。
西本殿 賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)
東本殿 玉依媛命(たまよりひめのみこと)

 
これより後は、特別拝観になります。


神服殿(しんぷくでん)
夏・冬の御神服を奉製する御殿であったためその名がある。
近世は、勅使殿又は着到殿となり
古来殿内の一室が行幸の時は、玉座となった。


天皇・皇后両陛下の椅子
平成天皇・皇后両陛下がご参拝になられたときに用意された椅子。
神に対して失礼にあたるとしてお座りにならなかったそうです。


「開かずの間」
古くから御所が災害にあわれた時、臨時の御座所と定められている。
開いてはならない事から「開かずの間」と呼ばれる。
 
この後本殿の近くで説明を受けましたが、
撮影禁止で本殿の写真はありません。


葵の庭(カリンの庭)
焼失した賀茂西院御所の庭がここに再顕された。
カリンの古木が有名になり「カリンの庭」とも呼ばれる。
カリンの実がたくさん生っていました。また落ちているのも沢山あり、
関係者の方に許可をもらっていくつかもらって来ました。


御井(みい)
井戸の井筒を井戸屋形、上屋を井戸屋と呼び全体を御井と称している。
神饌の御水や若水神事などの御水の祭事が行われる。


水ごしらへ場
若水神事をはじめ御水の祭事が行われる所。
この岩は式内末刀社(水の神)の御祭神が御降臨になる
磐座(いわくら)との伝承があり橋と呼ばれている。


大炊殿(おおいどの)
神饌(お供え)の御料を煮炊きし、
調理をする社殿で大炊所(おおいどころ)とも呼ばれる。


儀装馬車(ぎそうばしゃ)
宮中での儀式に使用されているものと同型の物。
葵祭前儀・鏑流馬神事・御蔭祭に使用されている。


西側の鳥居
特別公開を見終わって出てきたところ。
本殿からは西方になります。


楼門
さて帰ろうかというところで、楼門を中から撮影。


賀茂御祖神社由緒記
楼門の外側、向かって左側に由緒書きがありました。


さざれ石
行くときは気がつかなかったんですが、帰り際こんなものを見かけました。
「君が代」に歌われている「さざれ石」です。
さざれ石は、火山の噴火により石灰岩が分離凝固した岩石で
長野県の天然記念物になっています。
「さざれ石」は、年とともに成長し、
岩となると信じられている神霊の宿る石だとされています。


世界遺産登録記念プレート
賀茂御祖神社は、「古都京都の文化財」のひとつとして
世界遺産リストに登録されました。


このページのトップへ